暮らしの中の仏教まめ知識 第5回「挨拶」

暮らしの中の仏教まめ知識 第5回「挨拶」

暮らしの中の仏教まめ知識 第5回「挨拶」

2019年08月27日
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暮らしの中の仏教まめ知識

朝起きて、家族と顔を合わせればまず「おはよう」と挨拶をします。
職場に行っても「おはよう」と挨拶をします。
挨拶はコミュニケーションの最たるものと言ってよいでしょう。

実は、挨拶という言葉は、もともと仏教語なのです。
挨拶の「挨」とは「推しはかる」「近づく」「触れる」といった意味で、「拶」は「せまる」「切り込む」という意味です。
昔から禅宗では、師匠が弟子に声を掛けるなどし、その返答でもって修行の度合いをはかるということが行われてきました。
そのような問答を挨拶と呼んできたのです。
例えば、廊下ですれ違う時に、師匠から何気なく「中庭はきれいに掃除できたか?」と声をかけられたとします。
言葉それ自体は中庭の掃除について問われているのですが、「その真意がどこにあるのか。」を弟子には瞬時に察することが求められるのです。
とっさに、「中庭=自分の心」「きれいに掃除=心の曇りは拭き取れたか」と解釈し、師匠は自分の修行の具合を訊ねたのだと察知する、というように。
何気ない問いにどう答えるかで自分の内面が露呈してしまうのだから、これは恐ろしい話とも言えます。
常に気が抜けないですし、そんなややこしい挨拶なんて嫌だと思う人もいるでしょう。
でも、初対面の人から明るく「こんにちは」と声をかけられれば、その人に対して好印象を抱きます。
逆に、こちらが挨拶をしても無視されてしまったら、自ずと印象は悪くなります。
言葉を交わすことで、言葉以外の「何か」が交わされているのは疑いようのない事実です。
端的な一言に気持ちを込め、そこから「何か」を汲み取るのは、今も昔も、禅も世間も、違いはない、と言えるでしょう。

参考 禅の視点‐life-、寺子屋NET など

照寺住職 木村映之 住所 佐賀県鳥栖市本町1886 電話 0942824461
○浄土真宗東本願寺派 雲山来迎院 本照寺
※どなたでも参加できる行事… ボイストレーニング教室、ヨガ教室、坐禅会、寺子屋(小学生)、オカリナを楽しむ会木曜会(いすヨガ・法話・茶話会)

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