暮らしの中の仏教まめ知識  第16回『無事(ぶじ)』

暮らしの中の仏教まめ知識  第16回『無事(ぶじ)』

暮らしの中の仏教まめ知識 第16回『無事(ぶじ)』

2021年06月21日
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暮らしの中の仏教まめ知識

私達は、平素よく「無事」という言葉を使います。
変わりがないこと、健康であること、平穏であることの感謝や願望を表す挨拶語として使われます。
しかし、仏教とりわけ禅語(ぜんご)としての「無事」にはもっと別の深い意味があります。
この語は臨済宗(りんざいしゅう)の祖・臨済義玄(りんざいぎげん)禅師の言葉で、禅宗関係者の書などによく見かける禅語です。
臨済禅師が説くところの「無事」とは、馳求心(ちぐしん…外に向かって求める心)をすっかり捨て切ったさわやかな境涯(きょうがい)です。
求める心を捨てるといっても、無気力・無関心であれ、惰性(だせい)で生きろということではありません。
また財産や名誉をあくせく求めるなという表面的な戒めとも違います。
「無事」とはいわば、求めなくてもよいことに気づいた安らぎの境地といえます。
臨済禅師は "悟り" "ほとけ" "救い" "しあわせ" などといったものを頭に描いて、それを自分の外に追い求める愚かしさを厳しく戒められました。
それらは求めて得られるどころか、求めれば求めるほど遠くへ 逃げていってしまうものなのです。
求める心を捨てて、ああしたい・こうなりたいといった欲を捨てて、限りなく純真無垢な自分と出会う時、
無限にして偉大なるものに生かされている自分に気づくことができるでしょう。
求めずとも既にそれに抱かれ、生き生きと輝いている自分を発見できるでしょう。
 「無事是貴人(ぶじこれきにん)」とは、そういった安らぎの境地を心の底から実感した人こそ、
老若男女・貧富地位の別を超えて本当に貴い尊ぶべき人であるということなのです。

参考「亀屋清水」HP、「語源由来辞典」HPJR西日本HP、ウィキペディア など

照寺(ほんしょうじ)住職  木村 映之(きむら ひでゆき) 住所 佐賀県鳥栖市本町1886 電話 0942824461
○浄土真宗東本願寺派 雲山来迎院(ずいうんざんらいごういん) 本照寺(ほんしょうじ)
※どなたでも参加できる行事…ボイストレーニング教室、ヨガ教室、坐禅会、寺子屋(小学生)、オカリナを楽しむ会、木曜会(いすヨガ・法話・茶話会)
※新納骨堂…加入者募集中。

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