田んぼと木と土のはなし その2

田んぼと木と土のはなし その2

田んぼと木と土のはなし その2

2021年07月04日
テーマ
雑学

設計の小林です。
前回の続きの話をさせていただきます。
日本は、米づくりを通して、歴史的に、大きな列島改造を2度おこなってきたそうです。
最初は、山裾の斜面を平らにして水田を開いていくのですが、川から水を引くだけでは水は不足してしまうので、
ため池の建設がくりひろげられます。
そして新たな水田が開発され、大和朝廷が国家を統一する時代もやってきます。

またこのため池の建設は、高度な巨大土木工事で
その技術が、ほぼ同じ時代ににつくられた古墳の建設との関連も指摘されています。
古墳はため池とほぼ同じ規模で、ほぼ同じ土量を使うそうです。
ちなみに現在日本に残されているため池は20万か所で、古墳の数も20万基といわれています。

大和政権の条里制にもよって、上流に森林があり、山裾に水田が開け、
網目状の水路が整然と走る日本の原風景、日本人の心のふるさとの風景が出来上がりました。

また第2の列島改造として、室町末期から江戸中期にかけての大河川の治水と、新田開発でありました。
洪水対策も含めて、にほん中の川はつけ替えられ、土地が干拓され、新たに用水が引かれ、水田が開発されました。
各地の戦国大名たちは、治水にも腕を振るいました。

それまで海とも川とも陸ともつかなかった、葦野が原が開発され、さらに海の干拓も行われました。

日本列島に平野が作られ、今日の国土の姿が出来上がります。
その後日本の農業は明治以降今日まで、近代化・機械化されましたが、
日本人の水や大地との基本的な関係は変わっていません。

そして日本人は2000年を超えて、その付き合いを通して
木とともに土(土壌)を養ってきたといえます。
続きはまた次の機会に。

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