木と水と土と米作りの話 その10

木と水と土と米作りの話 その10

木と水と土と米作りの話 その10

2021年09月27日
テーマ
雑学

設計の小林です。
本日は連投になります。
話の内容は、以前からの続きです。

まず、阿蘇の水の話からさせていただきます。
阿蘇山は、火山灰土の水も緑も土も無い灰色の山です。
そのすそ野に、江戸時代、人々住みたいが水が無かったため、親子2代にわたり、木を植え続けました。
木が無いため、小屋も作れず、あなぐら住まいだったそうです。
半世紀たつと、涸れた川に水が流れるようになり、そこで人々は一の用水、二の用水と水を引いて入植しました。
これが、現在の熊本県御船町の一角であり、その水が一級河川緑川の水源の一つになっています。
このように人間が水を作ってきました。
何のために? それは多くは米作りのためでありました。
白砂青松の海の松原のような海岸林もまた、海の砂嵐から農地を守るため、植えては砂に埋もれという
苦労を繰り返しながら、現在の松原ができたのでした。
こうした伝統が、日本列島の緑豊かなものにして、農地や道路、そして住宅地が整備されてきました。
文化面でも、神社や祭りや相撲も米作りに関係の深い文化です。
農業は自然の破壊者だという事も言われますが、確かに西欧では木を伐採事で発展してきました。
しかし日本では、山の緑を伐採して穀倉地帯に変えたのではありませんでした。
日本では穀倉地帯にしたのは、大河川の氾濫原であり、川とも海とも陸ともつかない低湿地でありました。
その農地を洪水から守るためにも、人々は山に入って木を植えました。
木を植えることで文化を発展させてきたのが、日本の稲作でありました。

続きはまた次回に。

田舎の村 fukei_mura.png

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