
これから朝起きるのが辛い季節となります。
ずーっと布団の中にいたい。そんな時に思わず出る言葉に「億劫(おっくう)」があります。
実はこの「おっくう」の語源も仏教語に由来します。
仏教では「おっこう」と読み、「劫」は古代インドの言葉(サンスクリット語)の「kalpa」を音写したもので、
古代インドでは最長の時間の単位を示す言葉です。
有名な落語「寿限無(じゅげむ)」にも「五劫のすり切れ」が出てきますね。
「1劫」の長さは、100年に一度天女が高い岩山に舞い降りてきて、羽衣で頂上を撫で、その摩擦によって岩山が消滅する時間です(諸説あり)。
数字にすると43億2000万年とされ、それが億回積み重なるので「億劫」は43京2000兆年となります。
とてつもなく長い時間がかかってしまい、容易ではないことから転じて、手間がかかり、
やるのが面倒に感じる事を意味する「おっくう」という言葉になったそうです。
「無限に長い時間」という本来の意味にかけて言えば、いつまでも終わらないようなこと、あるいは同じようなことの繰り返しに直面した時に、
「億劫だなぁ」とつぶやくのは、何となくわかります。
しかし、よくよく考えてみると、人間にできることは目の前のことだけです。
先のことや、他のことを心配してみても、何も変わりません。
「億劫」に感じるのは、目の前のことに集中していないからだとも言えます。
同じような作業がずっと続く場合でも、「億劫」だと思ったからといって、先々の状況が自分の思い通りに変わるわけではありません。
できないことを「こうなればいいなぁ」「ああなればいいなぁ」と思い、
目の前のことが「億劫」に感じるのは、「欲」や「執着」と言っていいでしょう。
仏教は「欲」や「執着」に囚(とら)われないことを薦(すす)めています。「欲」や「執着」に囚われず、
それを制することができれば、「億劫」な気持ちは涌(わ)いてきません。
「億劫」な気持ちが涌いてくる理由は、その人自身が一生懸命努力せず、「億劫な思い」つまり「欲」や「執着」に囚われ、
目の前のことに集中していないから、ともいえます。
仏教用語の「億劫(おっこう)」と日常用語化した「億劫(おっくう)」。その関係をじっくり考えると、人生のヒントが出てきそうですね。
参考 『和楽ウェブ』HP、『ウェブリオ辞書』HP、『大塚耕平公式ウェブ』HP、ほか









2025年10月26日












