暮らしの中の仏教まめ知識  第44回 『学生(がくせい・がくしょう)』

暮らしの中の仏教まめ知識  第44回 『学生(がくせい・がくしょう)』

暮らしの中の仏教まめ知識 第44回 『学生(がくせい・がくしょう)』

2026年02月21日
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暮らしの中の仏教まめ知識

今年も本格的な受験シーズンがやって来ました。
受験生の皆さま、くれぐれも体調に気を付けて頑張ってくださいね!

さて、「生きる」ことを「学ぶ」と書いて「学生」と言います。
現在では、一般的に学生(がくせい)と読み、特に大学で学業を修めている人を指しますが、元々は「がくしょう」と読み、
仏教や儒教を学ぶ人を意味し、後に大寺で学ぶ僧侶を指すようになりました。

仏教の理論というのは、二千数百年来、多くの人々によって語られ、しだいに複雑化していきました。
そこで、理論を学びたいという僧侶たちを学問寺(がくもんでら)のようなところに集めて、
仏教の教理をこと細かに学習する施設が作られました。
そうした僧侶たちのことを学生(がくしょう)といったのです。

特に有名な学問寺としてはインドのナーランダ寺院があり、ここへは「西遊記」の
三蔵法師(さんぞうほうし)としておなじみの玄奘(げんじょう)も訪れました。
日本では、奈良の興福寺、法隆寺、薬師寺などが学問寺としてあげられます。

江戸時代になると、宗派ごとに「学林」(がくりん)「檀林」(だんりん)などと称する学問所がつくられ、
これらが今日の仏教系大学となっています。

日本仏教の二大巨人、伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)と弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)。
ふたりは、同じ遣唐使船団に参加して唐に留学しました。
その時点で、最澄は既に朝廷に認められたエリート僧なので、「還学生(げんがくしょう)」という国費留学生。
一方、無名の空海は「留学生(るがくしょう)」という私費留学生でした。
このように、古くから「学生」が仏教用語として定着していました。

ある大学の先生が毎年、最初の講義で、学生の皆さんに「高校までの授業と大学の授業では何が違うか」と聞くそうです。
様々な答えが返ってくるそうですが、その先生の答えは、「答え」があるのが高校までの授業、「答え」はなく、
自分で考えるのが大学の授業、だそうです。
そして、自分自身で「考える」ことが大切だと伝えるそうです。

仏教本来の意味でも、「生きる」とは何か、「真実」とは何かを「考える」のが「学生」です。
単に「答え」を求めているのではありません。自分なりのペースで頑張りましょう!

参考 『金剛院公式HP』、『日蓮宗』HP、『耕雲寺』HP、『大塚耕平』HP、ほか

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