暮らしの中の仏教まめ知識  第12回  『我慢(がまん)』

暮らしの中の仏教まめ知識  第12回  『我慢(がまん)』

暮らしの中の仏教まめ知識 第12回 『我慢(がまん)』

2020年10月20日
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暮らしの中の仏教まめ知識

新型コロナの感染拡大を受けて、色々なことに対する自粛を求められ、私たちは娯楽や移動の制限など日常の中で様々な「我慢」を強いられました。

また、阪神・淡路大震災のとき、ワシントン・ポスト紙は
「多くの被災者のキーワードはGAMANだ。GAMANとは困難に耐える意味の日本語で、ここでは大切な美徳なのだ。
市民たちはお互いに、我慢、我慢と助け合って苦難を乗り越えようとしている」と伝えました。 
このように、「我慢」は、「辛抱(しんぼう)すること、堪え忍ぶこと」を指し、良い意味に用いられています。

この我慢は、もともと仏教語なのですが、実はあまり良い意味ではないのです。

「我をたのんで自らを高くし、他をあなどること」つまり「自負心が強く、自分本位」という意味なのです。 
「慢」とは慢心とも言い、うぬぼれ心のことです。
仏教で「我慢」とは、「我」に対する「慢」ですから「自分こそが正しい。他人は間違い」と我を通そうとする心です。
この心のために自分の間違いに気付かず、また気付いていても間違いを認めることができません。
「幼児のケンカは衝突も早いが仲直りも早い。今泣いていたかと思うともう笑っている。
小学生は一度衝突すると二、三日ぐらいは口をきかないが、中学になると一、二週間になる。
高校生になると一カ月ぐらい、大学になると五、六カ月はかかる。
社会人ともなると、余程の仲裁人でも入らぬ限り困難である。
老人のケンカになると、棺桶に入るまで絶望的となる」という話がありますが、「老成(ろうせい)円熟(えんじゅく)」という言葉がある一方
「年寄りほど頑固だ」とも、ささやかれます。オレがオレがの「我慢」は、年を増すごとに強くなるのかもしれません。

このような意味から自分自身に固執する=強情であることを表すようになり、やがて「自分の意志を通す強さ」に変わり、
安土桃山時代~江戸時代には、「忍耐」の意味になって現代まで続いています。
それにしても良くない意味の語が、よい意味の語に変化していったのはおもしろいですね。

参考 「他力本願netHP、「佼成新聞DIGITALHP、ウィキペディアなど

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