暮らしの中の仏教まめ知識  第19回『大丈夫(だいじょうぶ)』

暮らしの中の仏教まめ知識  第19回『大丈夫(だいじょうぶ)』

暮らしの中の仏教まめ知識 第19回『大丈夫(だいじょうぶ)』

2021年12月21日
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暮らしの中の仏教まめ知識

 子どもが転んだ時にかけよって「大丈夫?」と声をかけたり、体調を気遣ってくれた人に対して「うん、大丈夫だよ。」と答えたりして、
私たちは日常の中でこの「大丈夫」という言葉を使います。

また辞書では
「①あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。 ②まちがいがなくて確かなさま。」とあります。(goo国語辞書)より。

 この言葉も元々は仏教語です。ただし、意味が少し異なります。

 涅槃経(ねはんぎょう)というお経では、仏教の開祖であるお釈迦(しゃか)様の優れた能力を表現するのに「如来の十号(じゅうごう)」があり、その中に「大丈夫」が表されます。
その意味は「立派に努力精進(しょうじん)する者」となります。

 また、この大丈夫は「菩薩(ぼさつ)」のことを意味するとされます。
菩薩とは、人々を救う為に、悟りを得ようとしている修行者のことを言い、観音菩薩や地蔵菩薩など、信仰の対象でもあります。

 大丈夫は、この菩薩の呼び名のひとつでもあったのです。

そもそも大丈夫は、古いインドの言葉(サンスクリット語)では、マハー・プルシャと言いました。
マハーは「偉大な」という意味、プルシャは「人間」「男性」という意味です。
つまり偉大な人間、偉大な男性のことを言い、それが転じて菩薩のことを指すようになったのです。

 日本の曹洞宗の開祖、道元禅師(どうげんぜんじ)は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中で、「いはゆる雪峰老漢(せっぽうろうかん) 大丈夫なり」という一文を書いています。
雪峰老漢という人のことを「大丈夫なり」、即ち菩薩であると言っているわけです。
この雪峰老漢は、唐の時代に実在した禅僧ですが、道元禅師はこの禅僧を菩薩のように尊敬し崇拝していたのでしょう。

 菩薩のことを指す言葉と、現代の「だいじょうぶ」は、かなり意味が異なるような気もしますが、
「何があってもだいじょうぶ」という心持ちが悟りへの第一歩、つまり菩薩への第一歩と考えれば、そう遠い意味では無いのかも知れません。

 参考 「おぼマガ」HP、「寶泉寺(ほうせんじ)」HP、「言の葉手帳」HP など

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