暮らしの中の仏教まめ知識  第20回『退屈(たいくつ)』

暮らしの中の仏教まめ知識  第20回『退屈(たいくつ)』

暮らしの中の仏教まめ知識 第20回『退屈(たいくつ)』

2022年02月23日
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暮らしの中の仏教まめ知識

「退屈」といえば、何もすることがなく、ヒマをもてあますことを意味する言葉として、日常よく使われています。
あくびの一つも出そうな情景です。
「退屈しのぎ」という言葉もあります。

 しかし、退屈は、もともと仏教語で、仏道修行の苦しさや難しさに屈して、仏道を求める心が退き、努力する心を失うことを意味しました。
退屈な状態になり、目標を見失い、集中力を失うと、心の中に雑念が湧いてきます。

「人のことを憎み始めたらヒマな証拠」

これは、『毎日かあさん』などで知られる漫画家の西原(さいばら)理恵子さんの言葉です。

 また西原さんには「『この人のことを憎み始めたら疲れてるな』という基準になる人がいるんです。
そのレベルで止めておかないと、どんどん憎しみが増殖して帰ってこれなくなる」という言葉もあります。

仏教には「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉があります。

人生の中で避けられない苦しみの1つであり、「嫌いな人や苦手な人に必ず出会わなければならない苦しみ」を指した言葉です。
お釈迦さまもおっしゃるくらいですから、人格者と呼ばれる人でもまわりに1人や2人は苦手な人が必ずいると思います。

自分にとって苦手な人と接すると憎しみの気持ちが湧いてきますので、西原さんのように自分の憎しみのレベルや置かれている状況を冷静に分析する行為は非常に大切です。

 この雑念は「憎む」だけではありません。悩んだり、不安になったり、心配になったりすることも「ヒマ(退屈)な証拠」といえます。
コロンビア大学のJ・マーセル教授の言葉です。

「悩みは人間が活動している時ではなく、一日の仕事が終わった時に人間に取りつき、害をなすことが最も多い。・・・悩みに対する治療法は、何か建設的な仕事に没頭することだ」

確かに、そのような感情はヒマを持て余しているときに湧き上がってくることが多いです。

 結局のところ、何らかの目標を持って、仕事でも遊びでもいまの状況に没頭することが悩みや憎しみを解消する1つの手段といえるでしょう。
悩みや憎しみに取りつかれている方は、まず自分の置かれている状況を冷静に見つめ直してみてはいかがでしょうか?

参考 西本願寺HP、江田智昭『お寺の掲示板』、西原理恵子『洗えば使える泥名言』、

D・カーネギー『道は開ける』

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