暮らしの中の仏教まめ知識 第9回 『食堂(しょくどう、じきどう)』

暮らしの中の仏教まめ知識 第9回 『食堂(しょくどう、じきどう)』

暮らしの中の仏教まめ知識 第9回 『食堂(しょくどう、じきどう)』

2020年04月29日
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暮らしの中の仏教まめ知識



学生食堂や大衆食堂など飲食をする場所を食堂と言います。
この食堂を「しょくどう」と読むのは明治以降に一般化したもので、もともとは「じきどう」と読む仏教語です。
寺院において修行するお坊さん(比丘「びく」と呼びます) が食事を行う建物を指す言葉でした。

古くインドにおいても、中国においても、食堂は「僧衆(そうしゅう)の威儀(いぎ)を正すところ」とされ、
作法にかなった立ち振舞(ふるま)いをすることが求められました。

食堂における行いは、修行に取り組む姿勢の全てを表すとされ、とても重い意味を持つ場であったのです。

日本においては、奈良時代の東大寺・興福寺・薬師寺等にこの堂があったと記録に残りますが、
平安朝中期以降は食堂の制度が改められて徐々に廃され、鎌倉時代に渡来した禅宗においてのみ、
食堂は「僧堂(そうどう)」と呼ばれてそのはたらきと意味を現代に伝えています。

食堂には本尊(ほんぞん、中心となる尊いお方)が安置(あんち)されます。
中国では、賓頭盧尊者( びんずるそんじゃ) あるいは文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の像を安置し、
奈良の興福寺では千手観音(せんじゅかんのん)を本尊とした、とされます。

これは、仏教は生活そのものである、食事はいのちの場である、という認識を仏教が持っていることを意味します。

食堂での食事は、食物に感謝することと、食事を通して、自己を磨くことが目的です。
食事は、自身の命を保つだけではなく、仏道修行の一環として、重要なものでした。

また、食事を作ることも修行であり、食べることも修行である、と考えられていたのです。

全ての食物は、動植物の命です。
一般家庭においても、「いただきます」と頂く命に感謝して、食事をし、
静かに自分の心と向き合うならば、そこが「食堂」となるのではないでしょうか。

参考 「大谷大学」HP、「念佛宗無量寿寺」HP、「摩尼山成就院」HP、など

照寺住職 木村映之 住所 佐賀県鳥栖市本町1886 電話 0942824461
○浄土真宗東本願寺派 雲山来迎院 本照寺
※どなたでも参加できる行事… ボイストレーニング教室、ヨガ教室、坐禅会、寺子屋(小学生)、オカリナを楽しむ会木曜会(いすヨガ・法話・茶話会)

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