暮らしの中の仏教まめ知識  第29回 『どっこいしょ』

暮らしの中の仏教まめ知識  第29回 『どっこいしょ』

暮らしの中の仏教まめ知識 第29回 『どっこいしょ』

2023年08月06日
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暮らしの中の仏教まめ知識



重いものを持ち上げたりするときや、立ったり座ったりするときに、思わず「どっこいしょ」と声を発してしまうことはありませんか?

実は、この「どっこいしょ」という言葉、仏教用語が由来といわれており、
富士山などの霊山(れいざん、神仏などをまつってある神聖な山)に登る時の掛け声「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」が
訛(なま)って伝わったとされています。(諸説あり)

六根とは仏教用語で、人間に備わった六つの認識の根幹で、眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚)、身(触覚)、意(意識)のことです。
この6つの感覚により煩悩が起こり、その煩悩によって苦しむことから、修行者は修行をして六根を清らかにして苦しみから離れ、清らかな存在である六根清浄を目指します。

感覚器から入ってくる情報は、おおよそ脳によってまとめられます。
見える景色はもちろん、声も香りも味も感触も、普段その対象をどう考えているかに左右されるのです。
「あばたもえくぼ」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というのは、その辺の事情を端的に物語っています。
要するに、我々が見たり聞いたりする世界は、「ありのまま」などではなく、思い込みの延長なのです。

人間の世界は我欲や執着にまみれており、正しい道を行くためには心を清らかにしなくてはなりません。
そのためには不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために山ごもりなどをして俗世間との接触を絶つことを「六根清浄」といい、
修行者は「六根清浄」を口々に唱えながら山に入ったといわれています。

 「どっこいしょ」と呟(つぶや)いたりすると「年だなぁ」なんて冷やかされたり、自分で自嘲のわらいを漏らしたりするわけですが、
この言葉、もともとは煩悩を離れ清らかな存在を目指す崇高な言葉だったのですね。

参考 『滝本仏光堂』HP、『親鸞聖人と浄土真宗』HP、『玄侑宗久公式サイト』HPほか

 

本照寺住職 木村 映之 住所 佐賀県鳥栖市本町1886 電話 0942824461
○浄土真宗東本願寺派 雲山来迎院() 本照寺(ほんしょうじ)
※どなたでも参加できる行事… ボイストレーニング教室、ヨガ教室、坐禅会、寺子屋(小学生)、オカリナを楽しむ会、木曜会(いすヨガ・法話・茶話会)
※新納骨堂…令和33月8日お参り開始。加入者募集中。

 

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