暮らしの中の仏教まめ知識  第48回 『しょっちゅう』

暮らしの中の仏教まめ知識  第48回 『しょっちゅう』

暮らしの中の仏教まめ知識 第48回 『しょっちゅう』

2026年10月24日
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暮らしの中の仏教まめ知識

「あの子はしょっちゅう、ゲームばかりやっている」
「あいつは、しょっちゅう、遅刻している」など、くだけた言葉ですので意外かもしれませんが、これも仏教が由来となっています。
「初中終(しょちゅうしゅう)」もしくは「初中後(しょちゅうご)」という言葉を縮めて「しょっちゅう」となったそうです。(諸説あり)。

まず「初中終」ですが、教団が成立して間もない時期、お釈迦様が弟子たちに告げられた「伝道宣言」の中で、
教えを説く際には「初めも善く、中ほども善く、終わりも善く、道理と表現とを兼ねそなえた法を説きなさい」という注意を与えました。
これは「初めから終わりまで正しくわかりやすい説法を説くように」という意味で、
今後どのように仏教の教えを広めていくべきかの指針を示した時の言葉の一節とされています。

また、「初中後」も同じ意味で、例えば法華経には「正しい教えを説くに初善(しょぜん)・
中善(ちゅうぜん)・後善(ごぜん)なり」と記されます。

それら「初中終」や「初中後」が後に、「しょっちゅう」へと転じて現代の日本語として定着したとされています。
いずれにせよ、もともと「しょっちゅう」はお釈迦様が弟子たちに、
教えを広める際は「終始分かりやすい説明をするように!」という注意から生まれた言葉だったんですね。

現代ではあまり善い意味に使われることはありませんが、由来を考えると、出来れば善い意味に使ってほしいですね。

参考 『佼成新聞』HP、『浄土真宗本願寺派』HP、『曹洞宗関東管区教化センター』HP、『日蓮宗』HP、ほか

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